<巻名>
空蝉とは、蝉もしくは蝉の抜け殻をさす。そして巻名は、
空蝉の身をかへてける木のもとになほ人がらのなつかしきかな(光源氏)
空蝉の羽におく露の木がくれてしのびしのびにぬるる袖かな(空蝉)
の贈答歌によっている。

<本文>
寝られ給はぬままには、「われはかく人に憎まれても慣らわぬを、こよひなむ、始めて憂しと世を思ひ
知りぬれば、恥づかしうて、ながらふまじうこそ思ひなりぬれ」など宣へば、涙をさへこぼして臥したり。
いとらうたしとおぼす。手さぐりの細く小さきほど、髪のいと長からざりしけはひのさま、かよひたるも、
思ひなしにや、あはれなり。あながちにかかづらひたどりよらむも、人わろかるべく、まめやかにめざまし、
と、思し明かしつつ、例のやうにも宣ひまつはさず、夜ふかう出で給へば、この子は、いといとほしく、
さうざうし、と思ふ。女も、「なみなみならずかたはらいたし」と思ふに、御消息も絶えてなし。「おぼし
こりにける」と思ふにも、「やがてつれなくてやみ給ひなましかば、うからまし。しひていとほしき御
ふるまひの絶えざらむも、うたてあるべし。よき程にて、かくてとぢめてむ」と思ふものから、ただならず
ながめがちなり。
<現代語訳>
おやすみになれないものだから、「私はこんなに人に厭がられたことは一度もない。今晩という今晩、
始めて世の中はいやなものだとわかったから、人にあわせる顔がなくて、生きていけそうもない気持ちに
なってしまった」などおっしゃると、小君は涙まで零して寝ている。かわいいとお思いになる。手ざわり
が、ほっそりして、小柄なところ、髪があまり長くはなかったらっしい点が似通っているのも、気のせい
か、心が動く。むりやり追っかけまわし尋ねる行ったりしても、外聞がわろかろうし。心からひどい奴
だとお思いのまま夜を明かし、いつものようにあれこれおっしゃらず、夜の深いうちにお出なさるので、
この子は、お気の毒に思い、ものたらない気がする。女も、たまらない思いのすること一通りでないが、
お手紙もぜんぜんない。お懲りになったのだと思うが、このまま沙汰なしでおしまいになさったとしたら、
辛いことだ。といって、むりな、たまらないなさりようが続くとしたら、これもいやなこと。まあまあ、
こんなところでやめにしたい、と思うものの、やりきれなくて、物思いにふけることが多い。
<評>