玉 鬘
たまかづら



<巻名>

光源氏の歌「恋ひわたる身はそれなれど玉かづらいかなるすぢを尋ね来つらむ」によっている。





<本文>

 年月隔たりぬれど、あかざりし夕顔を、つゆ忘れ給はず。心々なる人の有様どもを見給ひ重ぬるにつけても、「あらましかば」と、あはれに、口惜しくのみ思し出づ。
 右近は、何の人かずならねど、なほその形見と見給ひて、らうたきものに思したれば、古人の数に仕うまつり慣れたり。須磨の御移ろひのほどに、対の上の御方に、皆人々聞え渡し給ひしほどより、そなたに侍ふ。心よく、かいそめたる者に、女君も思したれど、心のうちには、「故君ものし給はましかば、明石の御方ばかりのおぼえには劣り給はざらまし。さしも深き御心ざしなかりけるをだに、落しあぶさず、取りしたゝめ給ふ御心長さなりければ、まいて、やむごとなき列(ツラ)にこそあらざらめ、この御殿移りの数の内には交ひ給ひなまし」と思ふに、あかず悲しくなむ思ひける。


<現代語訳>

 年月は隔たったけれども、飽かず思われた夕顔の事を、少しもお忘れなさらず、さまざまな人の有様を、つぎつぎに御覧なさってゆくにつけても、生きていたらなと、いとしく、思い出しては悔やんでばかりいらっしゃる。
 右近は、なに程の者でもないが、やはりその形見とお考えになって、いとしいものに思っていなさるので、古くからの女房の一人としてずっとお仕えしている。須磨へお移りの時に、対の上の所に、女房一同をお頼み申しなさった時から、そちらに仕えている。人のよいおとなしい者と、女君もお思いになっているが、右近は心のうちでは「なき女君が生きていらっしゃったら、明石のおん方の御寵愛くらいには負けずにおいでであろう。さして深いお気に入りでもなかった方でさえ、うち捨てず、お世話なさるお優しいお心なのだから、ましてなき君なら、重い身分のお方と同列にはゆかないにしても、今度の御転居なさった方々の中にはおはいりなさるであろうに」と思うと、たまらなく悲しいのであった。





<評>