須 磨
す  ま



<巻名>
源氏の須磨退去による。「須磨」の地名を詠み込んだ和歌が、都を離れた源氏と女性たちとの間に交わされた消息文の中に数首ある。





<本文>
 世の中いとわづらはしく、はしたなき事のみ増されば、「せめて知らず顔にありへても、これより増さる事もや」と思しなりぬ。かの須磨は、「昔こそ人の住みかなどもありけれ、今は、いと里離れ心すごくて、海人の家だにまれに」など聞き給へど、人しげくひたたけたらむ住まひは、いと本意なかるべし、さりとて都を遠ざからむも、ふる里おぼつかなかるべきを、人わるくぞ思し乱るる。

<現代語訳>
 生きてゆくのにうるさく我慢できない事ばかり増えるので、「むりに気づかないふりで、日を送っても、今よりもっとひどいことが起ころうか」とお考えになるようになった。あの須磨の地は、「昔は人の住む家などもあるにはあったが、今では住む者も少なく、さびしい限りで、漁師の家すらほとんどない」などと、お耳になさるけれども、さりとて人が多く出入りするような住居は、きっと行ったかいもない気持ちがするだろう。といって都から遠ざかるとすれば、また京都の事が気がかりであろうと、はたの見る目が気になるほどといつおいつなさる。




<評>