<巻名>
「末摘花」とは、ベニバナの異称で、花弁から紅を作る。そしてその巻名は、
なつかしき色ともなしに何にこのすゑつむ花を袖にふれけむ(光源氏)
の歌によっている。

<本文>
思へどもなほ飽かざりし夕顔の露におくれしここちを、年月経れど思し忘れず、ここもかしこも、うち
とけぬ限りの、気色ばみ心深き方の御いどましさに、け近くうちとけたりしあはれに似るものなう、
恋しく思ほえ給ふ。「いかで、ことごとしき覚えはなく、いとらうたげならむ人の、つつましきこと
なからむ、見つけてしがな」と、こりずまに思しわたれば、すこしゆゑづきて聞こゆるわたりは、
御耳とどめ給はぬ隈なきに、さてもやと思し寄るばかりの気配あるあたりにこそは、一行をも
ほのめかし給ふめるに、靡き聞えずもて離れたるは、をさをさあるまじきぞ、いと目慣れたるや。
つれなう心強きは、たとしへなうなさけおくるるまめやかさなど、あまり物の程知らぬやうに、さてしも
過ぐしはてず、名残なくくづほれて、なほなほしき方に定まりなどするもあれば、宣ひさしつるも
多かりけり。かの空蝉を、物の折々には、ねたう思し出ず。荻の葉も、さりぬべき風の便りある時は、
おどろかし給ふ折もあるべし。火影の乱れたりし様は、またさやうにても見まほしく思す。おほかた、
名残なき物忘れをぞ、えし給はざりける。
<現代語訳>
どう思っても、おしい思いを残してあの夕顔が、露のように先き立っていった気持を、年月はたったけれ
ども、お忘れなさらず、ほかは皆気を許さない方ばかりで、気取りや思慮深さの張り合いゆえ、親しみも
隔てもなかった、あのかわいい夕顔を、二人とない女だったと、恋しくお思い出しになる。なんとかして
大そうな身分でなく、可憐そのもので気がねのいらない人を見つけたいものだ、と、性懲りもなく思い
続けておいでなので、一ふしありげに噂される女は、お聞き捨てはなさらずに、これなら、と思われる程度
の感じのある所には、ちょっと手紙をやってみられると、構いつけず振り切る人はまずもってありそうも
ないとは、新しみのない話ですこと。と言って、すげなく、気の強いのは言いようもなく感情のあらい
固苦しさなど身の程知らずも過ぎたと思えば、結局はそのまま押し通しもせず、昔の強さはどこへやら、
平凡な妻の座に片づいてしまうのもあるので、言い寄ったままでおやめになることも多かった。あの
空蝉を、何かの事にふれて、癪なとお思い出しになることもある。荻の葉も適当な時を見つけては、お手紙
をおやりになることもあるであろう。灯火の光に見たうちとけ姿は、も一度ああいう所を見たいものと
お思いになる。総じてすっかりお忘れになることは、おできにならないお方であった。
<評>