紅葉賀
もみじのが



<巻名>
紅葉の美しい神無月に、朱雀院の御賀が催されたことによる。





<本文>
 朱雀院の行幸は十月の十日あまりなり。世の常ならず、面白かるべき度のことなりければ、御方々、物見給はぬ事を口惜しがり給ふ。上も、藤壺の見給はざらむを、あかずおぼさるれば、試楽を御前にてせさせ給ふ。
 源氏の中将は、青海波をぞ舞ひ給ひける。片手には大殿の頭の中将、かたち用意人には異なるを、立ち並びては、なほ花の傍の深山木なり。入りがたの日影さやかにさしたるに、楽の声まさり、物の面白き程に、同じ舞の足踏みおももち、世に見えぬさまなり。


<現代語訳>
 朱雀院への行幸は、十月の十日すぎである。このたびは特別の結構な催しものがあることなので、お妃がたはご見物のかなわぬことを残念がっていらっしゃる。主上も、藤壺がご覧になれないのをご不満に思し召し、試楽を宮中でおさせになる。
 源氏の中将は、青海波をお舞になった。お相手は左大臣家の頭の中将である。器量といい、ものごしといい並々の方ではないのだが、源氏の君と立ち並ぶと、花のかたわらの深山木のようである。入り日の輝きの中に、音楽は美しくひびき、感興が一段とまさる時、同じ舞でも今日の足拍子やお顔つきは、この世のものとは思われない。





<評>