<巻名>
源氏の歌「橘の香をなつかしみほととぎす花散る里をたづねてぞとふ」による。

<本文>
人知れぬ御心づからの物思はしさは、いつとなき事なめれど、かくおほかたの世につけてさへ、わづらはしう思し乱るゝ事のみまされば、もの心細く、世の中なべていとはしう思しならるゝに、さすがなる事多かり。
麗景殿と聞えしは、宮たちもおはせず、院かくれさせ給ひて後、いよいよあはれなる御有様を、たゞこの大将殿の御心にもて隠されて、過し給ふなるべし。御妹(オトウト)の三の宮の君、内裏わたりにてはかなうほのめき給ひし名残の、例の御心なれば、さすがに忘れもはて給はず、わざとももてなし給はぬに、人の御心をのみつくしはて給ふべかめるをも、このころ残ることなく思し乱るる世のあはれのくさはひには、思ひ出で給ふには、忍び難くて、五月雨の空、めづらしく晴れたる雲間に渡り給ふ。
<現代語訳>
誰も知らない、自ら求めてのおん物思いは、今に始まったことではないと言えようが、このように政界一般についてさえ困ったことにご煩悶のたねがふえるばかりゆえ、何やら心細く、この世界は何もかもいやにおなりだが、それでも捨てきれない事がいろいろある。
麗景殿とお呼び申した方は、皇子たちもおいででなく、院が崩御になって後は、いよいよお気の毒なご生活とて、この大将のご庇護だけを頼りに過していらっしゃるらしい。その妹君の三の君とは、御所であったかちょっとお会いになったあとお気持ちが続き、例のご性分ゆえ、すっきり忘れておしまいでもなく、といって格別のお扱いもなさらないから、女君はお苦しみのあらん限りをなさったらしいのだが、君もこのところ、ありとあらゆるご煩悶に人生の無常を感ずる一因として、この方をお思い出しになると堪えかねて、五月雨の空が珍しく晴れた雲の切れ間にお出かけになる。
<評>