<巻名>
光源氏と朝顔の姫君の贈答歌、「見しをりのつゆわすられぬ朝顔の花のさかりは過ぎやしぬらむ」「秋はてて霧のまがきにむすぼほれあるかなきかにうつる朝顔」による。

<本文>
斎院は、御服にており居給ひにきかし。おとゞ、例の思しそめつること絶えぬ御癖にて、御とぶらひなどいと繁う聞え給ふ。宮、わづらはしかりしことを思せば、御返もうちとけて聞え給はず。いと口惜し、と思しわたる。
九月になりて、桃園の宮に渡り給いぬるを聞きて、女五の宮のそこにおはすれば、そなたの御とぶらひにことづけてまうで給ふ。故院の、この御子たちをば心ことにやむごとなく思ひ聞え給へりしかば、今も親しくつぎつぎに聞えかはし給ふめり。同じ寝殿の西東にぞ住み給ひける。程もなく荒れにけるこゝちして、あはれに、けはひしめやかなり。
<現代語訳>
斎院は、服喪のため、おやめになったのであった。殿さまは、例のとおり、思いついたことはあきらめなされないお癖で、喪中のお見舞いだ何だと、たいそうしげしげお便りを遊ばす。宮は、かつて人の噂に上って困ったことをお思いになるので、心を許した御返事もなさらない。殿さまは、残念なと、思いつづけていらっしゃる。
九月になって桃園のお邸にお移りになったとお耳になさり、女五の宮がそこにおいでなので、そちらのお見舞いにかこつけて、御訪問なさる。故院はこの御子たちを特に大切になさっていたので、そのまま今までお互い親しいおつきあいを続けていらっしゃるのである。お二方の宮は、同じ寝殿の西と東にお住みなのであった。早くも荒れ果てた感じがして、そこらの様子がしみじみとうら淋しい。
<評>