<巻名>
賀茂の葵祭の当日、源典侍と源氏の交わした歌「はかなしや人のかざせるあふひゆゑ神のゆるしの今日を待ちける」「かざしける心ぞあだに思ほゆる八十氏になべてあふひを」による。

<本文>
世の中変はりて後、よろづ物憂くおぼされ、御身のやむごとなさも添ふにや、軽々しき御しのびありきもつつましうて、こゝもかしこも、おぼつかなさの嘆きを重ね給ふ報いにや、なほ我につれなき人の御心を、尽きせずのみおぼし嘆く。今はましてひまなう、たゞうどのやうにて添ひおはしますを、今后は心やましう思すにや、うちにのみ侍ひ給へば、立ち並ぶ人なう心やすげなり。をりふしに従ひては、御遊びなどを好ましう世の響くばかりせさせ給ひつゝ、今の御有様しもめでたし。たゞ東宮をぞ、いと恋しう思ひ聞え給ふ。御後見のなきをうしろめたう思ひ聞えて、大将の君によろづ聞えつけ給ふも、かたはらいたきものから、嬉しとおぼす。
<現代語訳>
一切が変わってからは、何もかもが億劫に感じられ、それにご昇進でお身の上に尊さが一段と加わったためでか、軽々しいお忍び歩きもなさりにくくて、―ここかしこのおん方々は心もとない思いをさせられて嘆きの数を積み重ねておいでだが、その報いでか、―相も変わらず自分につれない方のお心をいつまでも嘆いていらっしゃる。
ご譲位後の今は、以前にもまして間断なく、まるで普通の夫婦のようにご一緒においでになるのを、今后はご不快にお思いになってか、御所にばかりおいでになるため、競争者がなく、お気楽そうである。よい機会があれば、管弦の御遊などを、世の評判になるほどにお催しあそばしたりして、今のおん有様のほうがかえって結構に拝される。
ただ東宮を大そう恋しく思い申し上げなさる。ご守護役のないのを、気がかりにお思い申して、大将の君に万事をご依頼申されるのにも、君は内心気のひける思いがする一方、嬉しいとお思いになる。
<評>