川端康成と古典
〜『現代語訳竹取物語』を中心に〜



  
 まず本の紹介をしなくてはならない。つい最近、川端康成の新刊「現代語訳竹取物語」が、新潮文庫より 刊行された。この時期に川端の新刊? と一瞬私は頭を傾げたが、何の躊躇いもなくすぐさま購入した。 「現代語訳竹取物語」(川端康成全集第35巻所収)と、「「竹取物語」解説」(同全集第32巻)の2篇 からなるそれは、「物語の出で来しはじめの祖」(「源氏物語」絵合巻)とうたわれる我が国最古 の物語を、ノーベル賞作家である川端康成が持ち前の美しい文章によって現代語訳した、という点に何より 意味があり、また日本を代表する近代文学作家が物語の原点を解説する、という点にこの本の妙味がある。
 簡潔で歯切れのよい川端文学の持ち味がここにおいてもよくあらわれており、これから古典を学ぼうとしている 人にとっては絶好の一冊ではないかと思う。

「現代語訳竹取物語」 川端康成  新潮文庫
定価:362円(税別)  ISBN:4−10−100124−3 C0193

 さて本題にはいるのだが、私はこの本を書店で見つけるまで、川端が「竹取物語」の現代語訳をしていたことを恥ずかしながら 知らなかった。今考えてみれば、川端の文章は明らかに古典に通ずるものがあり、それは簡単にいってしまえば<日本的情感の文学>なのであって、 古典の現代語訳をやっていて当然といえば当然なのである。この本はそうした期待を裏切らない出来映えとなっており、読後が本当に快いものであったというのが私の率直な感想である。
 私がこの本で特に注目したいのは川端の解説の方である。解説というだけあって、諸研究者の論をいくつか引き出しながら「竹取物語」を分析しているのだが、やはり作家だからであろうか、 決して衒学的になることなく、非常に明解に、小説家としての<読み方>を論じられている。たとえば、

「竹取物語は、小説として、発端、事件、葛藤、結末の四つがちゃんとそろっている。そしてその結構にゆるみがないこと、描写がなかなか 溌剌としていて面白いこと、ユーモアもあり悲哀もあって、また勇壮なところもあり、結末の富士の煙が今も尚昇っているというところなど、一種象徴的な 美しさと永遠さと悲哀があっていい。しかし何よりもいいのはやはりその文章である。簡潔で、要領を得ていて力強く、しかもその中に自然といろいろの味が 含まっているところ、われわれはどうしても現代文でその要領のよさを狙うことは出来ない。しかしその中にちゃんと調子(トーン)があって、強まるべきところは強まり、抑えられるべき ところは抑えられてあって、この作者がなかなか芸術家であることが感じられる。」(二)

 という箇所。これは明らかに<小説家>としての視点で作品を捉えているのであり、批評家としてのそれではない。これは「解説」全般にいえることだが、川端は「竹取物語」の作者の技巧に特に注目している。 恐らく、同じ作家として竹取の作者を特に注目してしまうのだろうが、それにしてもこのような見方は非常に興味深いものがある。

「(略)作者は非常に簡潔な筆で、なんでもないことのように、当然のことのように書き進んでいるが、そこのところの叙述は見事である。この超自然な不自然なことを、作者は何の疑いもなく平気で堂々と平静にかいている。 それは凡らく古代人の太い神経のお蔭であろう。また、古代文の現代文の及ばない簡潔さであろう。けれどもそこに、作者の腕も見える。だれもここを読んで、なんだ馬鹿にしているとか、ははァこれは童話かなどという気が 起こらぬばかりか、つづいて次を読む気になる。それは何も古代人ばかりがそうだっただろうというのではなく、近代人をも充分に説得するだけの力を持っているのである。極端に云えば、この発端を読んだだけでも、この作者の腕は わかると云える位である。」(二)

 ここの箇所を見ても、川端が「竹取物語」の作者の才能に感心していることがおわかりになるであろう。私はどうしても川端を贔屓目で見てしまうが、しかしこうした記述はやはり説得力がある。先に述べたとおり、川端はこの作者の腕に 注目しているが、それに加えて古代文の利点をも注目しており、常に古代文と現代文、古典文学と近代文学とを念頭に置いたうえで作品を見ているのである。

「この章は、前の発展部を受けて、即ちこの小説の中心に入る第一歩 −葛藤である。− そろそろこれから、小説の本随が始まるのである。けれども、まだそのごく最初なので、作者は筆を惜しんで、 軽く序の口の程度に止めている。即ち読者は、ここに作者の筆の調子(トーン)を見るべきである。最初の発端は、平静に、次の発展部は壮大に、そして今この章は、そのあとを受けて軽く止めたのである。即ち調子で云えば、弱、強、弱である。」(三)

 「解説」の中心は、作品のそれぞれの段落の梗概をあげて、上に引用したような、調子や作者の技巧を述べるといった形になっている。川端は常に作者を意識し、あたかも同時代作家の作品批評をするかのように、 その文章的技巧をあげている。
 さてこうしてこの本は成り立っているのだが、この場であまり詳しく私の感想を書いてしまうと読む楽しみが無くなってしまいそうなので、この辺にしておくことにして、最後にこの本を通じて感じた川端康成について書いておこうと思う。
 このような解説の中に、私は川端康成の繊細な眼差しと、作家としての存在の偉大さを見出さずにはいられない。 これを読んだ上で川端の作品を思い出してみると、明らかに古典に通じたその面影というものがうかがえるのである。それは何といっても文章の簡潔さにあるであろう。 本人もいっているとおり、簡潔さという点では「竹取物語」をはじめ古代文にはとうてい及ばないであろうが、しかし近代文学作家の中では特に抜きん出た存在ではないかと思う。そこに川端の日本の伝統美があるのであり、 世界に認められる素質があるのだと私は思うのである。