ミツバ岳3(みつばだけ)

243 2014/4/9(水) 世附権現山1,019m → ミツバ岳3 834




雪も解けて桜が散り始めた頃、冬眠から醒めた輩、のこのこ起きだして、どれ山にでも登ろうか。山行にはしばらくの御無沙汰。体力も脚力もこころもとないから足に優しいコースを歩こう。歩行距離は8km、ガレ場なし、4時間以内の走破、しかも陽の高いうちに帰宅できる山がいい。この時期の丹沢にミツマタの花が咲く山がある。ミツバ岳。かぐわしい香りが漂い、黄色く彩られた山頂。一般的なコースは滝壺橋から上ってミツバ岳、権現山を越えて二本杉峠、下山は上ノ原へ。

その逆を辿るコースはお勧めできないという。僕の持つS社の2001年版山地図では上ノ原から権現山までは難路を示す破線で描かれ、しかも(危)マークが付されている。さらにミツバ岳へのコースの記載は一切ない。2014年版になると上ノ原から権現山間は実線で描かれた一般路に昇格し、ミツバ岳へ至る浅瀬入口、滝壺橋それに権現山からの三つのルートが破線で載るようになった。さて、暖かく晴れた日が続く日、御殿場線の谷峨駅前で西丹沢自然教室行きのバスに乗る。

桜満開の丹沢湖畔をバスはひた走り、中川温泉の手前、中ノ原の細川橋で降車する。僕のほかバスを降りたのは5人の登山客。集落を進むと石垣に掛かる二本杉峠23kmの道標がある。ここが権現山登り口。足柄茶の茶畑を分けて石段を上ると大室生神社。左折して林道を進み、大堰堤上から杉林の山道に入る。細川沢の左岸を遡上するトラバース路に隘路がある。しかも足元の土がずるずると崩れる。山側に張られた鉄鎖に掴まって通過する。ここが唯一の要注意個所。

世附権現山山頂 ミツバ岳山頂


細川沢を離れてじぐざぐの山道を上る。杉林から自然林、また杉林。杉林のあちこちに自生するミツマタ。樹間から覗く、あれは屏風岩山、遠く桧洞丸。崩落個所があっても修復されている。道標も要所々々に備えられている。道なりに上れば歩き易い土の道。木の幹に食害防止用の網が巻かれた杉林に入ると二本杉峠に着く。ここでひと休み。峠に立つ道標を見る。峠を西へ下って千鳥橋への標識がなく、北へ屏風岩山への巻き道は踏跡不明瞭との標示。そんなことはないのに。

権現山への上りは始めから急登。まず849m峰へ100mを上る。前方に傲然と聳える権現山。緩やかに下って鞍部、少し上ると崩壊地に出る。当然のことながら見晴しがいい。見下ろす中川温泉の後方に同角山稜のテシロの頭や桧洞丸を望む。鞍部からは200m以上もの辛い急登がある。新緑未だしのブナ林、傾斜が緩むと権現山。二等三角点と山頂標識がある。ベンチはふたつ。そのひとつに三人のおっさん達、もうひとつに一人が食事中。ハイカーが次々と上ってくる山。

ミツマタ ミツバ岳山頂から三保ダムを俯瞰する


丹沢に三つの権現山がある。山地図を開けば西丹沢には二つの権現山が見つかるが、もうひとつは見付からない。そこで地名を冠して、西丹沢自然教室の西側にある山を箒沢権現山、この山を世附権現山または本権現と呼ばれている。下山路はふたつ、南東へ下る浅瀬入口ルートには<この先踏跡不明瞭、初心者の通行不向き>の掲示があるし、西へミツバ岳ルートにも同様の警告文が木の幹に巻かれている。西尾根からミツバ岳へ分岐する踏み跡が分かりづらいのだ。

西に伸びる尾根を緩やかに下る。ミツバ岳への道標はない。ブナの幹に赤ペンキが塗られた地点が分岐点、傍らの埋標34が目印。薄い踏み跡を辿って枝尾根に乗ればひと安心。ミツバ岳山頂に近付くと野生化したミツマタが増えてくる。山頂には私製の標識が立つ。3年前のこと、分岐点を見落として直進する。いつの間にか踏み跡が消えている。引き返すのは面倒とばかり、とんでもない急勾配を立木に掴まりながら下る。降りたところはヤマメ沢が大又沢に注ぎ込む合流点。

ミツマタ(三叉、三椏)は、三つに分かれた枝の先端に、芳しい香りを放つ淡い黄色の花が咲き、茶色の樹皮が古来より和紙の原料とされてきた。かつて、御殿場にあった紙弊工場に供するため、ミツバ岳の地権者が山頂にミツマタを植栽したのだそうだ。ミツバ岳の山名は本来大出山。三椏畑(みつまたばたけ)を誤読して(ミツバダケ)に変じたという。富士山は見えないのが心残り。ハイカーで賑わう山頂を後にして、三保湖を見下ろしながら山を降る。えっ、次のバスまで2時間待ち。


晴れ 単独行 歩行距離=88km 歩行時間=3時間55

JR御殿場線、谷峨駅751⇒(神奈中バス)⇒820細川橋
上ノ原825925二本杉峠9351025世附権現山10451120ミツバ岳11301225滝壺橋→浅瀬入口→1300丹沢湖記念館前
丹沢湖1410⇒(マイカーに便乗)⇒1430谷峨駅