帚木巻(全十四首)



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(10)手を折りてあひみしことを数ふればこれひとつやは君がうきふし(左馬頭)

【単語説明】
・手……ここでは「手」ではなく「指」の意。
・あひみ……@互いに見るA男と女が逢う、契りを結ぶ。
・うきふし……いやなこと。

【通釈】
あなたと生活してきた年月を指を折って数え振り返ってみると、この嫉妬一つだけがあなたの欠点で あったであろうか。

【評】
この歌は諸注釈が指摘しているとおり『伊勢物語』第十六段の紀有常の歌、「手を折りてあひ見しことを かぞふれば十といひつつ四つは経にけり」の上句を引用している。この歌は、紀有常が三代の帝に仕え、 時勢も移り変わり、生活が衰退していき、妻と別れなければならない時に悲しくて友人に詠んだ歌である。 それにしても左馬頭はこの女に対して「ただ憎き方ひとつなむ心をさめずはべりし」と言っておきながら、 「これひとつやは君がうきふし」とはどういうことであろうか。少し女をこらしめるだけにしては、これは 言い過ぎである。このように言われれば当然次のような返歌(11)がくるのは必然的である。


(11)うきふしを心ひとつに数えきてこや君が手を別るべきをり(指喰女)

【単語説明】
・こや……これがまぁー。これこそ。

【通釈】
つらいことを私の胸におさめてきましたが、今それを数えてみますと、やはりここらへんがあなたと 縁を切るべき時期なのでしょう。

【評】
今まであまり文句を言わずにきた女が、一気に爆発である。私の数少ない経験から言って、女性というのは 当時も大変強情なものであったようだ。いわゆる逆ギレというやつ(笑)。もっとも左馬頭の言い方も 悪かったと思うが・・・。しかしこの後、仲直りをしようとするとするときには、女は死んでしまうと いう悲しい結末が待っている。


(12)琴の音も月もえならぬ宿ながらつれなき人をひきやとめける(殿上人)

【単語説明】
・つれなき人……薄情な人。
・ひき……「弾き」と「引き」の掛詞。
【通釈】
琴の音色も月も申し分ない程美しいのだが、そのあなたの弾いている琴で、薄情な人を引き留めることが できましたか。

【評】
この歌は、新大系の注にもあるように、殿上人が冗談程度に男の冷淡さを歌ったものである。もっとも この歌は女との関係がうまく進行しているから歌えるもので、近くで左馬頭が聞いているとは何とも 滑稽である。


(13)木枯に吹きあはすめる笛の音をひきとどむべきことの葉ぞなき(木枯女)

【単語説明】
・ことの葉……@歌・和歌 A上品な巧みな表現 B手紙 Cきちんとした文章の文句 ここでは@の意。
        さらに「こと」は「言」と「琴」の掛詞。

【通釈】
木枯に吹き合わせているような美しいあなたの笛の音を引き留めることができる琴も歌も私にはありません。

【評】
前の殿上人の歌に対する女の返歌である。殿上人の笛を絶賛しながら、自分の琴もしくは和歌をたいした ものではないと歌っているのだが、これは逆に、自分の琴は素晴らしいと言っているように思える、実際 女の琴は「よくなる和琴を調べ整へたりける……」や、「今めかしく掻いひきたる爪音、かどなきには あらねど……」と描写されているとおり上手だったのである。それを女性自身自己認識していてはじめて 歌える歌であると思う。


(14)山がつの垣は荒るともをりをりにあはれはかけよ撫子の露(夕顔)

【単語説明】
・山がつ……身分の卑しい人。
・撫子……ここでは幼児、つまり後の玉鬘の比喩。

【通釈】
身分の卑しい私の家の垣根は荒れていても、時々には撫子のように美しい我が子に情という露をかけて 下さい。

【評】
夕顔の非常に謙虚な人柄がうかがえる歌である。もちろん、この時点では夕顔であることは分かっていない が、光源氏と出会う夕顔巻から、この女性が夕顔であることが分かる。さらに歌の直前に「幼き者なども ありし……」と、この和歌の「撫子」から夕顔と頭中将との間に子供がいることが判明する。これが第一部 中盤で中心人物になってくる玉鬘である。この時、頭中将は「大和撫子をばさしおきて……」とほとんど 玉鬘の存在を無視しているが、そして忘れられてしまうのだが、この女性が光源氏に見出されることによ って、頭中将の対抗心を駆るところは大変面白い。


(15)咲きまじる色はいづれと分かねどもなほとこなつにしくものぞなき(頭中将)

【単語説明】
・咲きまじる……花が様々に咲きまじっていること。ここでは撫子(夕顔の子・玉鬘)と常夏(夕顔)の二種の花が咲きまじっている意。
・色……ここでは美しさの意。
・とこなつ……撫子の古名。ここでは夕顔を指す。撫子の母だから常夏と言ったのだろう。
・しく……@追いつくA肩を並べる。ここではAの意。

【通釈】
様々に咲きまじっている花の色は、どれが美しいか判断できないのと同じように、あなた(夕顔)と子供(玉鬘)のどちらが美しいか分かりません。でもやはり常夏(夕顔)に勝るものはないように思いますよ。

【評】
頭中将が夕顔に贈った歌。この直前でいともの思ひ顔にて、荒れたる家の露しげきをながめて虫の音に競へる気色」とあるので、とにかく夕顔の機嫌を直させようと必死に歌ったものであろう。


(16)うち払う袖も露けきとこなつに嵐吹きそふ秋も来にけり(夕顔 2)

【単語説明】
・うち払う……床の塵をうち払う意。これは直前で「塵をだに」という歌、「塵をだにすゑじとぞ思ふ咲きしより妹とわが寝るとこなつの花」(古今・167・夏・躬恒)を引いているので、これを受けた形になっている。
・露……「涙」との縁語
・嵐……ここでは頭中将の本妻(四の君)からのいやがらせを指す。これは「この見たまふるわたりより、情なくうたてあることをなむさるたよりよりありてかすめ言はせたりける」を受けてと思われる。
・秋……「秋」と「飽き」の掛詞。

【通釈】
床の塵を払う袖も涙で濡れている私に、嵐(本妻からのいやがらせ)までが加わって、あなたが私に飽きて捨てられてしまう秋になりました。

【評】
いよいよ別れるべき時が来たことを自認する夕顔の歌。この直後「跡もなくこそかき消ちて失せにしか」と頭中将の前から姿を消す。ここでは一夫多妻制下の、本妻ではない者の苦しみが痛烈に感じ取られるところ。この苦しみは第二部以降紫の上に最も顕著にあらわれる。


(17)ささがにのふるまひしるき夕暮にひるますぐせと言ふがあやなさ(藤式部丞)

【単語説明】
・ささがに……「ささ」は小さいの意。形の小さい蟹に似ていることから蜘蛛の異名になっている。また「ささがにの」となると「くも」を引き出す枕詞。つまりここでは、「ささがにのふるまひ」で「蜘蛛の動き」となり、さらに「蜘蛛」を「雲」と読んで時間をあらわしているものとみる。
・ひるま……「昼間」と「蒜間」(にんにくの臭いのする間)との掛詞。
・あやなさ……「あやなし」は@模様がないAわけが分からないB意味がないC無考えである。ここではAの意をとる。

【通釈】
雲の動きから私が訪れることは分かりきっている夕暮れに、昼間になったら蒜の臭いも消えるのでそれまでとはどうもわけが分かりません。

【評】
女の行動に対してあきれはてて歌った藤式部丞の歌。この場面に対して光源氏たちは「あさましと思ひて、『そらごと』とて笑ひたまふ。」とあるように信用はしていない。これは当然であり、読者も「まさか」という気持ちになるであろう。ともあれ一つのをこ話としては非常に面白い。


(18)あふことの夜をし隔てぬ仲ならばひるまも何かまばゆからまし(蒜喰女)

【単語説明】
・まばゆから……「まばゆし」は@目がちらちらするA思わず顔をそむけたくなるB照れくさいCまぶしい程立派である。ここではAもしくはBの意。

【通釈】
毎夜逢っている仲であるならば、昼間(蒜間)もどうして逢えないことがありましょうか。あなたが隔てるから逢えないのですよ。

【評】
前の藤式部丞の歌に対する返歌。自分で故意にこのようなことをしておきながら、やはり未練が隠せないというところであろう。自分の立場もわきまえずにした行動に、あきれ果てて去って行くのも当然であろう。それにしても笑いを誘う男女の別れである。


(19)つれなきを恨みもはてぬ東雲(シノノメ)にとりあへぬまで驚かすなむ(光源氏)

(20)身のうさを嘆くにあかであくる夜はとり重ねてぞねも泣かれける(空蝉)

(21)みし夢をあふ夜ありやと嘆くまに目さへあはで頃もへにける(光源氏2)

(22)はゝき木の心を知らで園原(ソノハラ)の道にあやなくまどひぬるかな(光源氏3)

(23)数ならぬ伏屋におふる名のうさにあるにもあらず消ゆる帚木(空蝉2)