中世文学の名歌名場面


『うたたね』 (作者 阿仏) 「太秦詣でと法金剛院』 (進藤重之)
※本文は『うたたね 全訳注』 次田香澄 (講談社学術文庫)より引用しました。



<本文>

 いとせめてあくがるる心もよほすにや、にはかに太秦に詣でてんと思ひ立ちぬるも、かつうはいとあやしく、仏の御心のうち恥づかしけ れど、二葉より参りなれにしかば、すぐれて頼もしき心地して、心づからの悩ましさも愁へきこえんとにやあらん、しばしは御前に。
 供なる人々、「時雨しぬべし。はや帰り給へ」などいへば、心にもあらず急ぎ出づるに、法金剛院の紅葉、このごろぞ盛りと見えていと おもしろければ、過ぎがてにおりぬ。高欄のつまなる岩の上におりゐて、山のかたを見やれば、木々の紅葉色々に見えて、松にかかれる枝、 心の色もほかには異なる心地して、いと見どころ多かるに、憂き故里はいとど忘られぬるにや、とみにも立たれず。おりしも風さへ吹きて、 もの騒がしくなりければ、見さすやうにて立つほど、

  人しれず契りしなかの言の葉を嵐吹けとは思はざりしを

と思ひつづくるにも、すべて思ひまずることなき心のうちならんかし。




<現代語訳>

 ひどく思いつめて不安になった心が促してか、にわかに太秦の広隆寺に詣でようと思い立ったのも、われながらまことに物狂おしく、仏 がなんと思われるかも恥ずかしいが、幼い時からいつもお参りしてきたから格別頼もしい気がして、自分の心がもとで起こった悩ましさを も訴え申そうとおもったのであろうか。しばらくは仏の御前に額づいていた。
 さて供をしてきた人たちが、「時雨れてきそうです。早くお帰り下さいまし」など言うので、心ならずも急ぎお寺を出たが、途中、法金 剛院の紅葉が、今がちょうど盛りとみえてとてもすばらしいので、通り過ぎがたくて車をおりた。お寺の高欄の端にある岩の上に座って、 うしろの山の方を見やると、木々の紅葉がとりどりの色に見えて、緑の松に懸っている蔦の秋の色も、ほかとは異なる心地がして、まこと に見どころが多いものだから、憂鬱な北山の麓の住まいのことはいよいよ忘れられてしまったのか、すぐに立つ気にもならない。折から風 まで吹いてきて、物騒がしくなったので、見残すようにして立つとき、

(和歌)人しれず契ったあの人との間の恋の言葉を、嵐が吹いて散らしてくれとは願いもしなかったものを。

と思いつづけるにつけても、すべてほかのことは考えられない一途な気持ちのようであった。