「六条御息所」樽原茂子(100頁)
『源氏物語講座2 (勉誠社)


[六条御息所の]描かれ方は大きく四つに分けられる。第一は源氏物語初めの巻々(夕顔・若紫・末摘花)における六条辺りに住む貴婦人としての存在(A)、次に葵巻以降の六条御息所としての存在(B)、三番目に賢木巻で伊勢下向を決心してからの御息所(C)、最後にその死後死霊となって現れる存在(D)である。(100頁)

一 六条辺りの女性と六条御息所(101頁)

夕顔を取り殺す物怪は源氏によって「いとをかしげなる女」「夢に見えつる容貌したる女」「添ひたりし女」と三回に渡って確認されている。三度も目にした物怪と六条の貴婦人との間に何の同一性をも源氏は見い出していない。「荒れたりし所に住みけむ物の我に見入れけむ云々」と思い、南殿の鬼に襲われた忠平の事件を連想するだけであった。ここに某院の妖物説が出る余地があるのであるが、この夕顔を殺した妖物が六条辺りに住む女性の物怪であるという読みが読者を捉えるのは何故であろうか。「とけ難かりし」六条の女性を無理に靡かせた揚句に充分な処遇をしないで思い乱されているのを源氏は「いとほしかし」と思い「苦しう道理なり」と思う。この源氏の呵責の念と某院に現れた物怪との関係を読者にのみ察しさせ源氏自身には自覚させない。(101頁)

六条御息所の自覚は彼女の物語の世界からの退場の花道なのでああう。(中略)夕顔巻は六条辺りの女の退場を必ずしも要せずに完結する短編性を強く持っているのである。(中略)六条御息所=物怪を源氏にも六条御息所にも自覚させ、その結末を長編の中に消化する為に重要な布石を、葵巻が始まってすぐに身分設定をすると同時に打ったのである。(102頁)

 葵巻での斎宮の母としての漠然とした伊勢下向の暗示は、次の賢木巻で現実となり、その為に改めて六条御息所は据え直される(C)。そこに問題の年齢ミスが生ずる。(中略)
   十六にて故宮に参り給ひて、二十にて後れ奉り給ふ。三十にてぞ、今日また九重を見給ひける。……斎宮は十四にぞなり給ひける。
十九年前に朱雀院が立坊しているのであるから六条御息所の夫たる前坊が十年前に亡くなられているのでは坊が二人いた事になってしまう。(中略)葵巻の段階では前坊との間に姫がいて斎宮になって伊勢に行く可能性さえあればよかった。(中略)ところが賢木巻になると冷泉帝の中宮として設定する限度の十四歳の明示が必要になってきた。年齢矛盾よりも優先する構想の発展がこのBとCとの間に生じ再度の据え直しとなったと考える。(102頁)

二 死霊出現の意味(104頁)

物怪が登場する場面に一つのドラマとしての世界を独立して描こうとしたA・Bと比べDは紫上発病・女三宮密通という第二部の中心的事件に付加されている六条御息所の死霊であった。(104頁)

神仏の加護の強い源氏に祟ることのできない物怪は女性達に八つ当たり的に祟る事によって間接的に源氏を崩壊に導いて行く。源氏を超優良人間として造形してしまった作者は、物語の現実の世界で真っ向から源氏を追求することができず、女の執念と源氏の心の奥に潜んでいる意識とを呼応させて物語りを通して男を内面から突き崩してゆく。(105頁)

第二部に入って源氏の精神崩壊の因となるこの紫上発病と女三宮密通事件に六条御息所の死霊が一見無意味な理由をもって登場するのは、それだけの援護射撃を必要とする程、源氏の内面世界への糾弾が思い切ったものであったのであろう。死霊と源氏の内面との呼応として物怪が現れる事によってこの二つの事件の原因の根源が源氏の心にあり、そして源氏自身それを自覚している事を指摘している。(106頁)

六条御息所の物怪が源氏の心にのみ働きかけ、その源氏の心だけが物怪登場の本質を知っているというように、源氏物語の中の六条の女性の物怪が特定の二者間の心の結び付きにおいてのみ発生する。この紫式部の物怪観は物怪の存在が一般に信じられ生活の中に根付いていた当時にあっては驚異的に合理的かつ心理学的なものである。Aで夕顔に取り憑く女性を三回見て物怪の確認ができなかったのは源氏の心がそれに応じていなかったからである。「をかしげなる女」としか感じない程度にしか源氏は潜在的にも六条の女性の執を意識していなかった。(107頁)

三 六条の女性の執(108頁)

夕顔にだけ「をかしげなる女」としてとり憑くのは夕顔が「かくことなる事なき人」であるのに大事にしたからである。愛する人を取られた嫉妬ではなくて夕顔如き女に劣る扱いを受けたという屈辱が執となった。自分をより多く求めて嫉妬ととったのは男によくありがちな源氏の自己中心的な自惚れである。(108頁)

男女の打ち解け話の中で他の女の批評をする時、話している女は噂された女に遙かに優越する。(中略)六条の女性の物怪とは常に自尊心を傷付けられる事への憤りや恨みによる執の現れであった。種々の形をとってはいても、結局は源氏に大切に扱われなかった事によって受ける屈辱感に起因していた。(109頁)

(110頁)

六条の女性の執のあらわれとしての物怪はその女性の潜在意識を露にしているようでありながら実は源氏の潜在意識の現れなのである。(110頁)