「明石君」(一二二頁) 伊藤博
『國文學 特集・源氏物語の美学』 (學燈社)


[初出の必然]

 すでに「若紫」巻北山の場の余興話でこの父娘の異様な心高さが話題になっていた。これが紫上垣間見の直前に据えられている構成は、後にこの二人が宿命のライバルになるだけにたんなる偶然とは思えぬ節がある。

[入道の宿望]

 流人同様の身とはいえ一世源氏と前受領の女ではあまりに径庭がありすぎる。
     
父は大臣であり、光源氏の母方ともゆかりがあるのだが、宿世つたなく世のひがもので受領にまで身を落とした「新没落貴族」たる入道は、娘を媒介して再び上流階級に失地回復をはかりたいという強烈な宿望に貫かれているのだ。

[明石の姫君の機能]

 光源氏の宿世顕現を基軸とし、その一環として明石の姫君が位置する第一部の物語にあっては、むしろ姫君は明石の君との絆から能う限り離れることによって光源氏圏の一因子として機能することを求められていたのではあるまいか。

[明石君の変貌と光源氏世界の後退]

 阿部秋生氏は第二部の明石君がかつてのような「口惜しき身の程」の痛覚を喪失し、「すべて今はうらめしき節もなし」と「奇怪な歓声」を上げる女として描き出されていることを指摘して、貴族社会の通念的な倫理と妥協してしまった彼女を批判的に描き進めるようになった作者の客観精神の徹底を見ておられる。
     
たしかに明石の君も変貌したようである。だが光源氏的宇宙との鋭い懸隔の意識が消え失せたのはその絶対性の後退とも関連していはしまいか。