「もうひとつのゆかりー桐壺更衣・六条御息所から明石君・明石中宮へー」 久富木原玲
『源氏物語の視界3』 王朝物語研究会編 (新典社)
[もうひとつのゆかり]
桐壺更衣から藤壺、紫の上とつづく「紫のゆかり」はたしかに物語の本流をなすが、更衣を受け継ぐ女性
ははたして藤壺だけなのであろうか。
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@明石君は桐壺更衣と血縁関係にあり、しかもその女明石中宮は桐壺に入るから明石中宮こそ桐壺更衣の
真の後継者と見なすことができる。
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A明石君は六条御息所を受け継ぐ存在でもある。
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明石母子は、桐壺更衣と六条御息所の両方のゆかりにつながっている。
[六条御息所から明石君へ]
@坂本和子論
明石君が御息所の面影をしのばせることに加えて、御息所が明石母子には全く祟らないこ
と、明石君は源氏の妻として御息所の位置を受け継ぐようにして登場すること、さらにこの二つの家系には
血縁に繋がる関係が想定されているのではないかとも述べて、明石の君は御息所の源氏の妻としての座を継
承する立場にあるのではないかと説いた。
A小沢恵右論
御息所と明石の君はともに娘を持ち、源氏の栄華に寄与することを指摘。さらに「紫のゆ
かり」が源氏の精神的な形成における支柱になっているのに対し、六条御息所と明石の君は源氏の政治力の
確立、発展の支柱になっているのではないかとも説く。
B吉海直人論
六条御息所と明石の君がともに「まことや」という言葉で喚起される特殊な女性であること。また、坂本論
に対応するものとして、須磨下向を契機として、御息所の特性が明石の君にそっくり移し替えられているよ
うにみえると述べている。
C鎌田清栄論
琴と松風の組み合わせに注目し、この組み合わせは正編において、六条御息所と明石の君の場合だけに認め
られることを指摘。
[神につながるイメージを持つ明石の君]
明石の君は斎宮との直接的な関係こそないが、神に繋がる要素や巫女的イメージを負う存在として描かれ
ていることを忘れてはならない。明石の君は入道が住吉明神に願をかけて生まれた、いわば神の申し子であ
るが、このことを裏付けるかの如く琴や琵琶の名手とされており、特にその琵琶の腕前は「神さびたる手づ
かひ」であるとされる。また明石の君は中宮に皇子が誕生したとき御湯殿の世話をするが、馬淵美加子氏は
そこに水の女としての巫女的イメージを読みとっている。氏はさらに明石の君が「いつきむすめ」と呼ばれ
ることにも注目している。なぜならば、斎宮は訓読みすれば「いつきのみや」と読むからだ。
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斎宮が伊勢神宮という天つ神に仕えるのに対し、明石の君は住吉明神という海つ神に関与する。源氏は明石
の君と六条御息所のふたりを妻に持つことによって天つ神と海つ神両方の加護を得ることになったのだ。
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このことは、ふたりの娘がともに中宮になり、源氏の栄華を支える点に端的に示されている。明石一族は六
条御息所には祟られず、御息所の故地に建てられた六条院で繁栄するのも当然のことといえよう。
[桐壺更衣の継承]
六条御息所との密接な結びつきと同時に見過ごしできないのは、明石一族が桐壺更衣と血縁関係にあると
いうことである。のちに明石中宮が桐壺に入ることから考えても、更衣の後継者と目されていることが知ら
れる。
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さらに、明石中宮が「御息所」と呼ばれているのは注目に値する。
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明石中宮は六条御息所と桐壺更衣の両方の存在を受け継いでいるのではないだろうか。つまり「紫のゆかり」
に対するもうひとつのゆかり、「御息所のゆかり」とでもいうべきももが、脈々と底流に流れているのでは
ないかと考えられる。
「紫のゆかり」は源氏が母の面影を激しく追い求めていくという形をとるから、物語中にも明確に現れてく
るが、「御息所のゆかり」の方は源氏自身にさえはっきりとは意識されていない。というよりむしろ、彼は
もうひとつのゆかりには全く気付いていないという方が正しいであろう。主人公の知らないところで彼を動
かし、導いているものがある。それは更衣の御息所としての現世に残した恨みではあるまいか。
[桐壺更衣と六条御息所]
桐壺更衣と六条御息所は、最高権力の至近距離にありながら、夢破れ恨みを残してこの世を去った御息所
という点で共通している。みずからの力で自分の地位を守り通すことのできない立場という点では同じなの
である。
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従って、明石中宮が血縁と相似とのふたつの要素を受け継ぎつつ、「御息所」となって栄華を極めるのは、
まさしくこのようなふたりの御息所の恨みをはらし、鎮魂することを意味している。
[明石君の重要性]
そもそもゆかりの物語としての源氏物語は、このふたりの御息所に発するといっても過言ではない。「ゆ
かり」の発信者は更衣と御息所であり、ともに血縁と相似とのふたつの関係を有している。そしてその血縁
と相似をふたつながら引き受ける位置に明石君がいる。ふたりのゆかりの発信者をともに受け止める明石君
は、物語の深層においては「紫のゆかり」の女性たちよりも重い存在だと言える。