「光源氏の系譜」(三三頁) 坂本和子
『國學院雑誌』昭和五十年十二月号
[住吉詣の意味]
澪標巻の源氏の参詣によって、須磨の浦で源氏の立てた願は一応果たされている。
従ってその時点において、源氏の須磨・明石の不遇の生活の締め括りがなされたと考えてよい。
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源氏の直接の願については澪標巻で終わってはいるものの、須磨・明石両巻に語られた住吉の神に関する
結末は若菜巻ー源氏の栄華の絶頂期まで延引されていたことを知るのである。
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須磨・明石巻で不遇の底に落ち込んだ源氏が、この世の栄華の限りを極めるのに、この時までかかったこと
を意味していよう。「かかるいろいろの栄を見給ふにつけても、神の御助は忘れ難くて」とある如く、須磨
での源氏の大願が完全な形で成就されたと言えるのは若菜巻である。
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言い換えれば、住吉の神の導きによって須磨から明石に移り、源氏の生活が不幸より幸運へと転じたとき
から、その幸運の絶頂に至るまでを語って、住吉詣のこの時まで筆が尽くされてきたのだと言うことが
できる。
[明石上との結婚]
明石上との結婚は源氏が自ら思い初めたものではなかった。明石入道の願いにより、田舎暮らしのつれ
づれのなぐさめになるかと明石上の許に通い始めたのである。
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明石上との結婚が源氏の心からなる恋に基づいたものでなかったことは注目しておくべきであろう。源氏が
自らの恋に憧れて結婚したのではない女性は三人、葵上・明石上・女三宮である。
何れも源氏の意志によるのでなく計画された結婚でありながら、こうした結婚によってのみ源氏の血を継ぎ、
家を継ぐ者が誕生している。源氏の血を受けながら桐壺院の皇子をされた冷泉院は別として、源氏の恋愛の
対象となった女性たちには一人も子供がなかった。
[血縁関係にある二人]
明石入道と源氏の母桐壺更衣は従兄弟に当たる。源氏は、入道一族の血を受けている。と言うばかりで
なく、この時点では入道一族の血を受けているのは源氏と明石上の二人だけである。
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一見不自然なように見られる源氏と明石上との結婚は、その血縁関係からいって極めて当然な結果であった
といえよう。桐壺巻で源氏が桐壺更衣の腹に誕生して以来、更衣と血の継がった女との結婚は必ずあるべき
はずのことであったのであろう。須磨・明石両巻は、言わば住吉の神の霊験によるこの家の再興の物語の発
端でもある。
[明石上の容貌]
明石上は都を離れた明石浦に育ちながら、決して鄙びた様子ではなかった。逆に、「いとあてにそびえ」
た様をして、「心はづかしき」けはいの女性であった。そしてその様子は伊勢にある御息所に非常によく似
ていた。
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明石上と六条御息所が血縁関係にあったことは書かれていない。しかし、この二人が似ているという設定の
仕方には、何らかの意味が含まれているのであろう。
[明石上と六条御息所の関係]
御息所と明石上が同時に源氏の愛を受けていることはない。明石上は、御息所の面影を受け継ぎ、源氏の
妻としての地位を受け継ぐようにして登場している。
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明石上と六条御息所は、桐壺巻以前の先代において、血縁関係があったのではないだろうか。
↑ (その理由)
紫上・葵上・女三宮たちは、いずれも御息所の怨念を受けているのに対して、明石上は源氏の女を生み、
源氏の妻としては紫上に次ぐ地位にあるにもかかわらず御息所の祟りの対象になっていない。明石姫君も
同様である。その上、御息所の女秋好中宮は明石姫君の裳着にあたって、その腰結の役を勤めている。この
点からしても、御息所と明石上との関係が、他の人々とは違ったものであったと考えられよう。
[結論]
澪標・松風・薄雲・少女・梅枝・藤裏葉・若菜、これらの巻々は、須磨・明石以降の源氏が、自らの手に
権勢を握っていく過程を直接に描いている。それは明石上が明石浦に侘びしく姫君を生んでより、上京して
大堰に住んだこと、姫君が紫上の手に引き取られ、やがて六条院に移ったこと、成長した姫君の裳着が行わ
れ、東宮に入内したこと、続いて母子の再会へ、という明石上母子の物語でもある。明石入道が自らの生涯
を神仏に捧げて願ったこの一族の、再びの栄華への過程とも言える。