中古文学の名歌名場面


『讃岐典侍日記』 下巻 「再びの出仕」 (進藤重之)
※本文は『讃岐典侍日記 全訳注』 森本元子 (講談社学術文庫)



<本文>

 十九日に、例の参らんと思ふに、雪、夜より高くつもりて、こちたく降る。いそがしさ、今いくほどなく、 残り少なくなりにたれば、おほかたの人も、夜を昼になして、物もきこえぬまでいそぐめれば、われは、こ の日ならんからに、いそがしとて参らざらんがくちをしさに、出でたつを、ひとりうけひく人なし。
「さばかりいそがしくし散らさせたまうとてよかし。けふ参らせたまひたらんに、院も大臣殿も、よにいみ じともあらじ。参らせたまはずとも、あしきこともあらじ。かばかり雪は、道も見えず降るめり。わが御身 こそ、車のうちなれば、さてもおはしまさめ、御供の人は、いかでか堪へんずるぞ」
など、わびあひてとどめつれど、
「人たちによしを思はれんとて参ることならばこそあらめ、この月ならんからに、いそがしとて欠くべきこ とかは。いさましくうれしきいそぎにてあらんだに、それに障るべきことかは。われをすこしもあはれと思 はん人は、けふぞ参らせよ」
と言ふままに、けしきも変はるがしるきにや、言はれぬる人ども、
「さばかりおぼしめしたらんこと、妨げまゐらすべきことならず。車寄せよ」
と、供の人呼ばせなどするほどに、例始まるほどと思ふほど、やうやう日たくるに、「参らでやみなんずる なめり」と思ふ、くちをしくわりなき。人ども来ぬれば、「とくとく」と言へば、うれしくて乗りぬ。
 道のほど、まことに堪えがたげに雪降る。車のうちに降り入りて、雑色、牛飼、みな頭白くなりにたり。 牛の背中も、白き牛になりにたり。二条の大路には、大宮の道もなきまで降る。
 参りたれば、人々、
「あな、いみじ。例よりも日たけつれば、『けふはえ参らせたまはぬなめり』『ことわりぞかし。いそがし くおはしつらん』と申しあひたりけるに、おぼろけならぬ御志かな。けふは」とあはれがりあひたり。
 十一月も、はかなく過ぎぬ。




<現代語訳>

 十九日に、いつものように堀河院にお参りしようと思っていると、雪が夜のうちから高くつもって、ひど く降る。出仕までの準備期間は、もういく日もなく、残り少なくなったので、わたしの周囲の者はみな、夜 昼の区別もなく、話もできぬほど多忙らしいので、わたしは、十九日である以上は、忙しいからといってお 参りしないのは残念なので、出かけようとすると、だれひとり承知する人がいない。
「どうぞ、いくらでも忙しくなさってくださいまし。今日お参りにいらっしゃっても、院も内大臣も、まさ か感心なとは思われますまい。参上なさらなくても、わるいこともありますまい。これほどの雪は、道も見 えぬほど降っております。ご自身こそ車の中ですから平気でいらっしゃいましょう、お供の人は、どうして 堪えたらよいのですか」
など、みな、迷惑がって引きとめたけれど、わたしは、
「皆さんからよく思われるためにお参りするならばともかく、この月に限って忙しいからといって休んでよ いでしょうか。いそいそとうれしことの用意でさえ、それに妨げられてよいことですか。わたしを、すこし でもかわいそうに思う人は、今日だけはどうかお参りさせてください」
と言ううちに、顔色も変わるのが目にたったのか、止めだてした人たちも、 「それほどまで思いこまれたことを、お邪魔するのはよくありません。車を寄せなさい」と、供の人を呼ば せなどするうちに、いつも法会が始まる時刻だと思うころ、だんだんと日が高くなってくるので、「お参り できずにすんでしまうのか」と思うと、残念でたまらない。やっと供人たちがやって来たので、人々が「早 く、早く」と言うので、わたしはうれしくなって乗りこんだ。
 道中、ほんとうに堪えられるほどに雪が降る。車の中まで降りこんで、雑色や牛飼は、みな頭がまっ白く なってしまった。牛の背中にもつもって、白牛となってしまった。二条の大路には、御殿(堀河院)にゆく 道も見えないほどに降っている。
 堀河院に参上すると、人々は、
「まあ、お大変でしたこと。いつもより時刻がたったので、『今日はおいでになれないのでしょう』『もっ ともなことですよ。きっとお忙しいのでしょう』と話しあっていたところに、なみなみならぬお志ですこと、 今日はまた」と、みな感じ入っていた。
 十一月も、たわいなく過ぎてしまった。