中古文学の名歌名場面


『讃岐典侍日記』 上巻 「御重態の日々」 (進藤重之)
※本文は『讃岐典侍日記 全訳注』 森本元子 (講談社学術文庫)



<本文>

 また、人、
「のぼらせたまへ」と呼びに来たれば、まゐりぬ。ものまゐらせこころみんとてなりけり。大弐三位、御う しろにいだきまゐらせて、
「ものまゐらせよ」
とあれば、小さき御盤に、ただつゆばかり、起きあがらせたまへるを見まゐらすれば、「けふなどはいみじ う苦しげに、よにならせたまひたる」と見ゆ。
 殿のうしろのかたより誰も、をりあしければ、うちしめりならひておはしませば、いかでかはしるからん。
「大臣来」
と、いみじう苦しげにおぼしめしながら、告げさせたまふ御心のありがたさは、いかでか思ひ知られざらん。 かく苦しげなる御心地に、たゆまず告げさせたまふ御心の、あはれに思ひ知られて涙浮くを、あやしげに御 覧じて、はかばかしくも召さで臥させたまひぬれば、また添ひ臥しまゐらせぬ。
 かくおはしませば、殿も夜昼たゆまず参らせたまへば、いとど晴れに、はしたなき心地すれば、三位殿も、
「をりにこそ従へ。かばかりになりにたることに、なんでふものはばかりはする」
とあれば、「いかがはせん」とて過ぐす。
 大殿近く参らせたまへば、御膝高くなして、かげに隠させたまへば、われも単衣をひきかづきて臥して聞 けば、
「御占には、とぞ申したる。かくぞ申したる。御祈りは、それそれなん始まりぬる。また、十九日より、よ き日なれば、御仏御修法、延べさせたまふ」
と申させたまへば、
「それまでの御命やはあらんずる」と仰せらる。悲しさ、せきかねておぼゆ。




<現代語訳>

そこへまた、使が、
「ご参上ください」と呼びに来たので、わたしはご前にあがった。お食事をさしあげてみるためだった。大 弐三位が帝をうしろからお抱えして、
「お食事を」
というと、小さいお膳に−それもほんの少しばかり−むかって起きあがられたお姿を拝すると、「今日はほ んとうに、特別お苦しそうになってしまわれた」と思われる。
 関白殿がうしろの出入口から参上されたことも、いつものやりかたで参内なされば気づくのだが、近ごろ はだれも、折が折とて、音を立てぬように振舞われるので、なんでわたしも気がつこう、うっかりしている と、帝が、
「それ大臣が来る」
と、苦しさにあえぎながらお教えくださるお心のありがたさは、なんで心にしみずにいようか。こうもひど いご病苦のなかに、いちいち教えてくださるお心づかいが、しみじみと思い知られて涙が浮くのを、帝は不 審そうにご覧になって、これというほども召しあがらず、横になってしまわれたので、わたしは、またお側 に添い臥した。
 こうしたご病状なので、関白殿も、夜昼となく、しばしば参内なさるので、わたしはいっそう気が張り、 きまりわるい思いでいると、三位殿も、
「ご遠慮も時によりけりですよ。これほどご重態になってしまわれた以上、なんで気がねなどするのです」 と言われるので、「なんともしかたない」と思って、添い臥しのまま過ごしている。
 関白殿がみ帳近くに参上されると、帝はお膝を高く立てて、わたしをかげにお隠しになるので、わたしも ひとえをひきかぶって、臥したまま聞いていると、
「御占いでは、これこれと申しました。また、それそれとも申しました。ご祈祷は、それそれが始まりまし た。また、十九日から、吉日ですので、ご持仏供養やに修法を延ばして行わせられます」 と申しあげると、帝は、
「それまで命がもつだろうか」とおっしゃる。悲しさはおさえかねるほどだ。