中世文学の名歌名場面


『古本説話集』



<本文>

 今は昔、紫式部、上東門院に歌読み優の者にてさぶらふに、大斎院より春つ方、
「つれづれにさぶらふに、さりぬべき物語やさぶらふ。」
と尋ね申させたまひければ、御草子ども取り出ださせたまひて、
「いづれをかまゐらすべき。」
など、選り出ださせたまふに、紫式部、
「みな目馴れてさぶらふに、新しくつくりてまゐらせさせたまへかし。」
と申しければ、
「さらばつくれかし。」
と仰せられければ、源氏はつくりてまゐらせたりけるとぞ。




<現代語訳>

 今ではもう昔の話になってしまったが、紫式部が上東門院に歌人のすぐれた者としてお仕えしていたが、大斎院(選子内親王)から春の頃、
「退屈しておりますが、何か適当な物語がございますでしょうか。」
とお尋ねになられたので、上東門院は御草子などを取り出しなされて、
「どれを差し上げたらよいだろうか。」
と選び出しなさるところに、紫式部が、
「みな見慣れておりますので、新しく作って差し上げなさいませ。」
と申したところ、
「それでは、あなたが作りなさい。」
とおっしゃられたので、源氏物語を作って差し上げたとのことだ。