近世文学の名歌名場面


『うひ山ぶみ』 本居宣長
※括弧内の片仮名はこちらでつけました。



<本文>

 詮(せん)ずるところ学問は、ただ年月長く倦(う)まずおこたらずして、はげみつとむるぞ肝要にて、学びやうは、いかやうにてもよかるべく、さのみかかはるまじきことなり。いかほど学びかたよくても、おこたりてつとめざれば、功はなし。また、人々の才と不才とによりて、その功いたく異なれども、才不才は、生まれつきたることなれば、力に及びがたし。されど、大抵は、不才なる人といへども、おこたらずつとめだにすれば、それだけの功は有る物なり。



<現代語訳>

 結局のところ、学問というものは、もっぱら長い年月、いやになったり怠けたりすることなく打ち込み努力することが非常に大切であって、学び方は、どのようなものであってもよく、それほど深くこだわる必要はないものである。どんなに学び方が良くても、怠って努力しないのでは、成果はない。また、才能のある人とない人によって、その成果は大変違ったものになってくるけれども、才能のあるなしは生まれつきのものであるので、人の力ではどうしようもない。けれども、大方は才能のない人であっても、怠けずに努力だけはするので、それだけの成果はあるものである。