近世文学の名歌名場面


『花月草子』(進藤重之)



<本文>

 いやしきものなりけるが、常、食ふべき米をも食はず、ひさぎてこがねにかへて、命にもかへじと袋に入れて持ちゐたるに、秋の末つかた、にはかに水出でにければ、かの袋を首にかけて、高きところへ行かんとするに、はや水かさ高くて、行くべきやうなければ、せんかたなく、木によぢのぼりけるが、ことの外にうゑにのぞみけり。さるに米いささかつとにし、負ひて水およぐ者を見て、かの袋のこがねを見せて、「これをみなまゐらせん。その負ふところの米をいささかわけ給はれ。」と言へば、いと怒りて、「にくきをのこの言ひざまかな。かかるとき、こがね持ちて何にかはせん。」と言ひすてて、およぎ行きしとなり。



<現代語訳>

 けちな男が、ふだん食うべき米も食わないで、それを売って黄金に換えて、絶対に手放さないぞと袋に入れて持っていたところ、秋の終わり頃、急に洪水になったので、例の袋を首にかけて、高いところへ行こうとすると、すでに水かさが高くなって、行くことができそうにないので、しかたなく、木によじのぼっていたが、思いのほか腹が減ってきた。すると米を少し包んでつとにして、背負って泳ぐ者を見て、(その人に)例の黄金を見せて、「これを全部さしあげよう。あなたが背負っているところの米を、少しわけてください。」と言うと、(その人は)たいそう怒って「腹立たしいことを言う男だなぁ。こんなときに、黄金を持っていたって何になろうか、何にもならない。」と言い捨てて、泳いで行ってしまったということである。