中古文学の名歌名場面


『とりかへばや物語』 春の巻(進藤重之)
※引用は『とりかへばや物語 全訳注』 桑原博史 (講談社学術文庫)
 また、括弧内の片仮名はこちらでつけました。



<本文>

 逢ふ人にしも飽かぬ夜を、まいてはかなう明けぬなり。左衛門苛られわぶれば、出でぬべき心地もせねど、さりとてあるべきならねば、泣く泣く心の限り頼め契りて出で給ふ心地、夢のやうなり。

  わがためにえに深ければ三瀬川後の逢ふ瀬も誰かたづねむ

「なほおぼし知らぬこそ、かひなけれ」といへど、答へもせず。左衛門にいみじきことども語らひて、たち帰りても、夢かともおぼえぬ心惑ひに、消え入る心地して、起きも上がり給はねば、
「御心地のわびしきにや」
など人々見奉り扱ふに、中納言、内裏よりまかで給ひて入り給へるに、「いとど。いかで見え奉らむ」と、わびしきままに引き被き給へるを、
「などかくは」と問ひ給へば、御前なる人、
「夜より例ならずおはしまして」
となむ聞こゆれば、いとほしく心苦しうおぼして、添ひ臥し給ひて、
「いかにおぼさるるぞ。今まで御消息のなかりけるよ」
など、いとなごやかにあてはかに見扱ひい給ふにつけても、いとどめづらかなりつる気色は、ふと思い出でられて胸塞がりぬ。
 上も、「いかなる御心地ぞ」とおぼし騒ぎて、祭・祓え、何やかにやと騒がしげなれば、中納言も立ち出で給はず添ひ居給へば、左衛門がもとに立ち返り隙なき御文をだに見せ奉らず、跡絶えたるままに。




<現代語訳>

 逢う人によって短さにたえられぬ夜だのに、まして日ごろ思いつめていた四の君をわがものとした夜だから、あっという間に明けてしまったようだ。左衛門がいらいらしてつらがるので、宰相中将としては出る気もしないが、しかしこのままここにいられるわけでもないから、泣く泣く心の限りをこめてまた逢う日を約束し合ってお出になるお気持ちは、ただ夢のようである。

  私にとって深い縁があったのでこうしてお目にかかれたのです。
  死語渡る三途の川も、わたし以外のだれがあなたを背負いましょうか。

「あなたはまだわたしの気持ちを汲んでくださらぬのが、残念です。」と言うが、女は答えもしない。せめて左衛門に固い約束をさせて、お帰りになったあとも、夢かとさえも判断つかぬ気持ちで、男は泣きくずれる。
 女はまして情けなく、現実とも思えぬ出来事の打撃から、息も絶えるばかりの思いで、起きあがりもなさらぬので、
「御気分が悪いのでは」
などと侍女たちが介抱し申し上げているところへ、中納言が、内裏から退出なさってこちらのおはいりになったが、女君は「もういや。お目にかかりたくない」と、つらさのあまりに夜具をかぶっておられるので、
「どうしたのか」とお聞きになると、おそばの侍女が、
「昨夜から御気分が悪くていらっしゃって」
と申しあげると、中納言はいたたましく気の毒に感じて、女君の傍らに添い臥しなさって、
「どういう気分か。今まで何とも聞いていなかったが」
などと、丁寧にやさしくいたわりなさるにつけても、あの手荒なことをして行った男の姿が、はっと思い出されて胸もつまるのだった。
 母君も、わが子を、「どうした御気分か」と案じて、祭りやら祓やら、何やかやとさわがしいので、中納言もほかへはお出にならず付き添っておられるから、左衛門のもとにひっきりなしにやってくる宰相中将のお手紙さえお見せ申し上げられず、逢瀬は絶えたままでいる。