中古文学の名歌名場面


『枕草子』 七十二段 「ありがたきもの」(進藤重之)
※引用は『新版枕草子』 石田穣二訳注 (角川文庫)
 また、括弧内の片仮名はこちらでつけました。



『枕草子』 七十二段 「ありがたきもの」

<本文>

 ありがたきもの
 舅にほめらるる婿。また、姑に思はるる嫁の君。毛のよく抜くる銀(シロカネ)の毛抜き。主そしらぬ 従者(ズサ)。
 つゆの癖なき。かたち、心、有様すぐれ、世に経るほど、いささかの疵なき。同じ所に住む人の、かたみ に恥ぢかはし、いささかのひまなく用意したりと思ふが、つひに見えぬこそ、難けれ。
 物語、集など書き写すに、本に墨つけぬ。よき草子などは、いみじう心して書けど、かならずこそきたな げになるめれ。
 男、女をば言はじ、女どちも、契り深くてかたらふ人の、末まで仲よきこと、難し。




<現代語訳>

 めったにないもの。
 舅にほめられる婿。また、姑にかわいがられるお嫁さん。毛のよく抜ける銀の毛抜き。主人の悪口を言わ ぬ従者。
 全然、欠点のない人。容貌、心、風姿態度がすぐれていて、世間にまじわって一向に非難を受けることの ない人。同じ所に奉公住みしている人で、お互いに面と向かって顔も合わさず、すこしの油断もなく気を 使っているといった人はついぞ居ないものだが、ほんにこんな人はめったにいない。
 物語や歌集など書き写す時、そのもとの本に墨をつけない人。豪華な本などはたいそう気を使って書き写 すのだけれども、きまってと言っていいほど、よごしてしまうようだ。
 男と女の間柄については言うまでもない。女どうしでも、行末長くと契って仲よくつき合っている人で、 終わりまで仲のよいことは、めったにない。