柏木の病状は悪化し、両親は心痛して、加持祈祷に手を尽くした。柏木は、女 三の宮に最後の消息をした。女三の宮は薫を出産したが源氏が冷淡なので悲観し、 折から見舞いに来た朱雀院に願い、源氏の反対を押し切って受戒した。これも 六条御息所の死霊のゆえという。帝は柏木の重病をあわれみ、権大納言に任じた。 夕霧は昇進の祝いを兼ねて柏木を見舞うと、柏木は夕霧に真相をほのめかし、源 氏への申しわけと落葉宮のことを依頼してそのまま他界した。三月、薫の五十 日の祝いが行われ、薫の生育した様子と女三の宮の尼姿とをこもごもみて、源氏 の胸中は複雑である。夕霧は柏木の遺言に疑問をもった。夕霧は一条御息所や致 仕大臣を見舞って柏木を追悼する歌を交わし、また、四月ごろ落葉宮を訪問して ともに柏木をしのんで、ようやく落葉宮を意識しはじめ、女房たちにも両者の結 婚を期待する空気がないでもなかった。世間の人は皆柏木を哀惜し、罪の子薫も 這いざりするようになった。